悲劇の運命をたどった琉球王国の絶世の美女

中城城

いつの時代にも、絶世の美女にまつわる悲劇の伝説はあります。琉球王国にも、そんな悲劇の運命をたどった一人の美しい姫がいました。彼女は、いったいどんな運命をたどったのでしょうか?

その名は百度踏揚(ももとふみあがり)

琉球王国は、1429年に建国され、その後薩摩藩に侵攻されるまでの450年間、琉球諸島を中心に独自の発展を遂げた王国です。

琉球王国の国王には、第一尚氏王統と第二尚氏王統が存在しますが、悲劇の美女が生まれたといわれるのは、第一尚氏王統の時代になります。

絶世の美女でありながら悲劇の運命をたどった美女の名は、百度踏揚(ももとふみあがり)。彼女は、第一尚氏王統の第六台国王である尚泰久の娘です。ですから、れっきとした琉球王国の王女でもありました。

血筋がすごい百度踏揚

百度踏揚の父は、琉球王国の国王ですから、すでにこれだけでも十分に高貴な血筋といえるのですが、その血筋をたどると、もっとすごいことがわかります。

まずは、百度踏揚の母。国王の妻でもある彼女は、中城城の城主でもある護佐丸の娘です。

護佐丸は、琉球王国建国の立役者としても有名で、中城城のほかにも、読谷村にある座喜味城も守っていました。ですから、悲劇の運命をたどったといわれる百度踏揚ですが、彼女が生まれ育った環境は、非常に恵まれていたということがわかります。

出生の裏には不安定な政治基盤があった

恵まれた環境に生まれ育った百度踏揚ですが、実は、彼女の出生には、当時の琉球王国の政治的背景が深く関係していました。琉球王国が設立される間での沖縄には、南部の南山、中部の中山、北部の北山という3つの勢力が台頭していました。これを、三山時代といいます。

この三山時代は約100年続き、その間にそれぞれが独自に中国との交流を深めながら、勢力を高めていました。その中で最も勢力を強めたのが、南山の佐敷按司でした。

南山の佐敷按司は、1405年にまずは中山を攻め滅ぼします。その後、拡大した勢力を武器に、1416年に北山を滅ぼします。そして1429年、ついに南山を滅ぼし琉球統一を成し遂げます。これが、琉球王国建国へとつながります。

統一を成し遂げ建国を実現したものの、当時の琉球王府の政治基盤は、磐石とは言い切れませんでした。ですから、政権転覆をもくろみ、力をたくわえ続ける地方の按司の影に常におびえる状態が続きます。

中でも、中城城主の護佐丸と、勝連城主の阿麻和利の力は強く、王府と対抗できるほどの力を蓄えるまでに成長します。

このような背景のもとに行われたのが、百度踏揚の両親の結婚です。まさにこの二人の結婚こそ、典型的な政略結婚であったというわけなのです。

どのくらい美人だったのか?

絶世の美女といわれた百度踏揚ですが、残念ながら彼女の姿を書き残したものは存在しません。ですが、那覇市の国際通りにある琉球宮廷料理の店「首里天桜」には、彼女の姿を蘇らせた絵画があります。

この絵画を見る限り、彼女は間違いなく絶世の美女であったと思われます。色白の透き通るような肌に、小柄な華奢な体つき。艶やかな黒髪は、丁寧に結い上げられ、何かを見つめるように少し顔を上げ背筋を伸ばして立つその姿からは、神々しさすらも感じられます。

首里天桜

  • 住所:沖縄県那覇市牧志1丁目3-60
  • 営業時間:昼の部 11:00~17:00、夜の部 17:00~24:00
  • 電話:098-863-4091

最初の夫・阿麻和利

最初に百度踏揚が嫁いだのは、勝連城の按司である阿麻和利でした。この二人の結婚は、政略結婚であったというのが一般論です。そのため、お互いの間にはそれほど愛情はなかったのではないか、ともいわれています。

この阿麻和利は、地元であるうるま市では、「気高い」という意味をこめて「肝高の阿麻和利」といわれていますが、百度踏揚の目線で見れば、非常に残酷な夫であったともいえます。

三山統一後も台頭を続ける地方の按司の中から、最初に琉球王府攻略の行動を起こしたのが、阿麻和利です。なんと、妻の祖父にあたる護佐丸討伐に動くのです。

このときの討伐の理由は、護佐丸が首里城侵攻を企てたという謀反の疑い。

もともと琉球統一の際に尚巴志とともに戦った護佐丸には頭の上がらなかった尚泰久も、謀反となれば黙っているわけにはいきません。こうして琉球王府を巻き込むことに成功した阿麻和利は、護佐丸討伐に乗り出します。

父の命を狙う夫から逃げる百度踏揚

夫が祖父の命を狙うという悲劇の真っ只中に身をおかなければならなくなった百度踏揚ですが、阿麻和利の目的は、祖父である護佐丸の命だけではないことに気がつきます。

なんと阿麻和利は、時の国王であり、妻の父親である尚泰久の命をも狙っていたのです。

そのことを知った百度踏揚は、従者として同じ勝連城で暮らしていた大城賢雄によって首里城へ脱出し、何とか難を逃れます。

こうして阿麻和利が護佐丸の命を狙って起こした戦いを、「護佐丸・阿麻和利の乱」といいます。

元の夫VS現在の夫の戦い

百度踏揚の命を救った功績として越来按司となった大城賢雄は、その後、百度踏揚を妻に迎えます。これが、彼女の2度目の結婚です。とはいえ、この結婚は、最初の夫と2番目の夫が戦うという悲劇の始まりでもあります。

護佐丸を討つために王府を抱きこみ仕掛けた阿麻和利ですが、百度踏揚が中城城を脱出し首里城へと戻ったことによって、その本当の狙いが王府にばれてしまいます。

これによって、今度は阿麻和利が、首里城侵攻を企てた謀反の罪で、討伐の対象となります。そして、この討伐の命を受けるのが、百度踏揚の再婚相手である大城賢雄です。実際に阿麻和利討伐の命を受けた大城賢雄は、討伐に成功します。こうして、再婚相手の現在の夫に、元の夫を殺されるという悲劇が彼女を襲うのです。

阿麻和利への愛情は本当になかったのか?

史書によると、百度踏揚と阿麻和利の結婚は、政略結婚であったとされています。でも、この説に異論を唱える説も存在します。

この異論を踏まえて作られた現代版組踊りが、「肝高の阿麻和利」です。

この作品の中で百度踏揚と阿麻和利は、相思相愛であったという設定になっています。そのため、阿麻和利を討ったのは護佐丸の子供となっており、あくまでもあだ討ちによるものだとなっています。

そして、阿麻和利の百度踏揚への愛情を表す場面として、阿麻和利が亡くなる直前のセリフにつながります。それが、「賢雄!踏揚を頼んだぞ!」と死の直前に叫ぶシーン。

この場面を見る限り、少なくとも阿麻和利には、百度踏揚への愛情があったことがうかがえます。

もともと大城賢雄と恋仲だった?

百度踏揚と大城賢雄は、もともと恋仲だったのではないかという説もあります。

大城賢雄は、阿麻和利の元へと継ぐことによって百度踏揚が中城城へ移り住んできた時に、従者として中城城へ住まいを移しています。こうして日々、接することになった二人は、阿麻和利の目を盗み、ひそかに愛を深めていったという説があります。

そのほかにも、そもそも体格がよく、武勇に優れていた大城賢雄のほうが本命だったという説もあります。

この説では、結婚後にその事実を知った阿麻和利が、中城城での戦いの際に大城賢雄とともに脱出する百度踏揚の姿を見て激怒し、首里城攻撃にいたったのではないかともいわれています。

2人目の夫も亡くした百度踏揚

大城賢雄と再婚した百度踏揚ですが、2人目の夫とも死別してしまいます。

王府にとって邪魔な存在であった護佐丸と阿麻和利がいなくなったことで、琉球王国の政治基盤は安定したかのように思われたのですが、護佐丸・阿麻和利の乱から11年後、新たなクーデターによって第一尚氏王統は倒されてしまいます。

このクーデターの首謀者が、後に第二尚氏王統の初代国王となった金丸でした。

金丸は、もともとは本当北西部に位置する伊是名島の出身。そのため、それまでの第一尚氏王統とは血縁関係がありません。第一尚氏王統を倒し、尚真王と名乗って即位したものの、それまでの旧王統に属する人物や旧王府の主要人物は、彼にとっては目障りな存在でした。これは、百度踏揚にとっても脅威になります。

百度踏揚は、第一尚氏王統の正当な血を引く王女でしたし、祖父には、琉球王国の建国に多大な功績を残した護佐丸がいます。しかも、再婚相手である大城賢雄は、旧王府軍の大将として謀反を企てた阿麻和利を倒しています。

そんな百度踏揚を亡き者にしようとする尚真王の魔の手が、彼女の元へ忍び寄ります。このことに気がついた大城賢雄は、彼女を城から脱出させ、そのまま自害します。こうして百度踏揚は、2人目の夫とも死別してしまいました。

2人の夫を亡くした百度踏揚のその後

第一尚氏王統ゆかりの人物ということで自らの命を狙われ、さらに逃げる過程で2人目の夫が命を絶つという悲劇に見舞われた彼女のその後は、よくわかっていません。

大城賢雄によって逃げのびた百度踏揚は、玉城に住む兄・三津葉多武喜のもとへ身を寄せたといわれています。その後、若くして亡くなった百度踏揚は、南城市玉城地区富里にある墓に納められています。

百度踏揚の墓

  • 住所:〒901-1400 沖縄県南城市玉城富里

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