かつての沖縄にはものすごい大政治家が存在した

ハイビスカス

国際通りのとある交差点には、かつて沖縄に存在したものすごい大政治家の名前が付けられた場所があります。その大政治家の名前は、蔡温。450年もの間独立国家として存在していた琉球王国の偉大な政治家の正体とは?

沖縄の大政治家のルーツは中国にあった

琉球王国を代表する大政治家・蔡温。そのルーツは、かつての琉球王国の繁栄を支えた中国にありました。

意外と裕福な暮らしをしていた蔡温

蔡温が生まれたのは、現在の那覇市久米にあたる久米村です。もともと久米村は、中国から移り住んだ人々が集まってつくられた集落でした。

蔡温が生まれた実家は、久米村の中でも裕福な家庭でした。蔡温の父である蔡鐸は、久米村の最高実力者である総役を務めており、集落の中でも一目を置かれる存在でした。そのため、蔡温は、集落のほかの子どもたちと比べても裕福な暮らしが出来たようです。

意外過ぎる大政治家の幼少期

大政治家の幼少期ともなれば、「さぞやものすごい天才児と呼ばれていたのだろうな」と思いますよね?残念ながら、その期待を思いっきり裏切ってくれるのが、蔡温でした。

実は読み書きが出来ない子供だった

大政治家となってからの蔡温からは想像もつかないのですが、幼い頃の蔡温は、怠け者。勉強は大嫌いで、暇さえあればすぐに遊びに出かけてしまっていたそうです。せっかく裕福な家で何不自由なく暮らすことが出来ていたのに、勉強もせずに遊び惚けていた蔡温は、16歳になっても読み書きがほとんどできなかったそうです。

さすがにそんな蔡温は、集落の子どもたちから仲間外れにされます。「大きくなってもろくに読み書きもできない大バカ者」として仲間外れにされた蔡温は、この時のことを相当悔しがります。

でも、この仲間外れ事件をきっかけに、蔡温は必死に勉強をするようになったようです。

天才はある日突然、才能を開花させる

仲間外れ事件をきっかけに、人が変わったように勉強に打ち込むようになった蔡温。16歳になるまで遊び惚けていた人物と同日人物であるとは思えないほど、ものすごい勢いで勉強にのめり込んでいった蔡温は、20歳を迎えるわずか4年の間に、ありとあらゆるジャンルの書物を読み漁り、大人でも難しいといわれた論語の知識も身に付けてしまいます。

その甲斐あって、19歳では通訳の仕事、21歳では漢文読書の先生、25歳には講談の先生にまでなりました。

こうしてみると、天才としての素質を十分に備えていた蔡温。もしも、幼少期からまじめに勉強に取り組んでいたら、琉球王国で超有名な天才キッズとなっていたかもしれません。

天才は、凡人とは違う発想で世界を見る

その後も勉強三昧の暮らしを続けていた蔡温のうわさは、琉球王朝にまで広く知れ渡り、27歳の若さで、進貢在留役として中国に渡り、現地で通訳をする仕事を任されます。この赴任先で知り合ったある老人の一言が、大政治家・蔡温のその後の生き方を変えます。

蔡温の考え方を変えさせたのが、「書物を読み知識を習得しただけでは何の役にも立たない」という一言。凡人には、この一言を言われたとしても、その発言の意図がどこにあるのか全く分かりませんが、そこは、天才の素質がある蔡温。

「学問とは実生活に役に立つことを学ばなければいけないのか!」

このように発想を転換させた蔡温は、当時、最先端の学問が学べるといわれた中国で流行った「経世到用の学」を学ぶことにします。この時蔡温が学んだ「経世到用の学」は、のちに、琉球王朝の発展のための大改革で大いに発揮されます。

大政治家・蔡温の大改革

様々な経験を積み中国から帰国した蔡温は、その後も、順調に王朝内で重要なポストを任されていきます。そんな蔡温が最も力を入れた大改革というのが、農業改革でした。

氾濫に次ぐ氾濫に苦しむ集落を救え!

蔡温が活躍していた時代、庶民の主な収入源となっていたのは農業でした。豊かな自然に囲まれた琉球王国ですが、台風や大雨が頻繁に起こるため、人々は、度々災害による被害を受けていました。

中でも頻繁に川の氾濫を起こしていたのが、本島北部にある羽地大川です。羽地大川の周辺には、人々の家が集まる集落がありましたが、川が氾濫するたびに、集落ごと飲み込まれてしまうため、人々の暮らしはいっこうに改善しません。この地域の人々の暮らしを改善するためにも、政府による羽地大川の整備は、国家レベルの重要課題でした。

蔡温 中国で学んだ実学の成果を大いに発揮する

早急に整備が必要となった羽地大川の大改革ですが、蔡温がまず初めに取り組んだのは、風水を利用した土壌調査でした。自然の力を最大限に活用する風水技術をフル活用するため、蔡温は、羽地大川の川の流れを徹底的に調べます。この調査によって、川の流れに逆らうことなく堤防や用水路を作ることを思いつきます。

思いついたら即実行するのが、蔡温の凄いところ。確かな技術と知識によって綿密に計画された羽地大川の改修工事は、総勢約10万人もの人員を動員させ、一気に3か月で完成させてしまいます。

このスピード感のある大工事のおかげで、川の氾濫がなくなり、用水路から安定して田に水を引くことが出来るようになった羽地の集落は、工事終了後、見事に米の産地として生まれ変わります。

美しい街づくりにも力を注いだ蔡温

蔡温の名前が付けられた場所の中には、琉球松の松並木もあります。

そもそも家屋や船を作るための木材の調達として植樹を推進していた蔡温ですが、琉球王国内の主要な道路の景観確保のための植樹も同時に推進していきます。この蔡温の計画のおかげで、当時の琉球王国の主要の道路には、琉球松のほか、アダンやテリハボクなどが植えられ、非常に美しい景色が広がっていたといいます。

現在、蔡温の指示によって植樹された琉球松並木は、本島北部の辺戸地区で見ることが出来ます。平成10年に保全公園に指定されてからは、散策路なども整備されています。

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