玉陵にまつわるちょっと怖い3つの話

玉陵

琉球の王様と王族の共同墓である玉陵は、「あの世の首里城」といわれているほど立派な石造りの建物です。そんな玉陵にまつわる言い伝えの中からちょっと怖い話を3つ紹介します。

玉陵には宇喜也嘉の呪いの石碑がある

玉陵王墓があるエリアの前には石垣で仕切られた広場がありますが、そこには非常に古い石碑が建てられています。

長い月日によって石碑に刻まれた文字は解読が非常に難しいのですが、そこに書かれているのは玉陵に入る資格を持つ人物の条件だといいます。

でもこの石碑には、宇喜也嘉という女性の呪いがかけられています。

宇喜也嘉は初代第二尚氏王統国王・尚円王の息子である尚真王の母で、非常に権力欲の強い女性であったといわれています。

尚真王は尚円王が老いてから生まれた子供なので、尚円王が死亡したときにはまだ幼い子供でした。

そのためやむなく尚円王の弟が次期国王として即位することになりました。

次期国王となることが決まり、あとは半年後に行われる即位式を済ませるだけとなった時に事件は起きます。

いくら次期国王となることが決まっても、首里城で行われる即位式で神様から国王となるための神託を受けなければいけません。

この神託は神に仕える女性神官によって行われるのですが、神官たちは即位が決まっていた前国王の弟ではなく、宇喜也嘉の小曽納息子・尚真王に向かって「次期国王は尚真である」との神託を下します。

これによって即位するはずだった尚円王の弟は退位し、尚真王が新国王として即位します。

この不思議な出来事は、自分の息子を次期国王にしようとした宇喜也嘉の陰謀であるという説が有力です。

真意はわかりませんが、幼すぎる国王を支えるために宇喜也嘉は表の世界でも絶大な権力を持つようになります。

さらに自らの死後もその影響力を将来にわたって持つために、石碑に呪いをかけます。

実は宇喜也嘉が呪いを込めたといわれる石碑には「尚円王と宇喜也嘉の血をひくもの以外が同じ墓に入れば、祟りがあるだけでなく、その子々孫々まで呪われるであろう」と書かれています。

これは応募がある入口の脇に建てられており、その石碑を読まずに中に入ることができないようになっています。まさに文字に書き残された宇喜也嘉の呪い。ちょっと怖いですよね?

王家のお墓に自らの意思で入らなかった国王がいる

玉陵

子孫である首里の国王を守るために首里城のすぐ隣に建てられた王族の共同墓・玉陵。

それほど重要な意味を持つ共同墓なので、第二尚氏王統の王族たちはたった一人の王様以外はみな玉陵に遺骨が納められています。そう、たった一人の王様をのぞいてです。

唯一玉陵に入らなかったのは、第二尚氏王統第7代目国王・尚寧王(しょうねいおう)です。しかも彼は周囲からの反対によって玉陵に入らなかったのではなく、自らの意思で入ることを拒みました。

彼のこの行動には一般的に伝えられている話と、真実の話の2つがあります。

まず一般的に伝えられている話の発端は、尚寧王の時代に起きた薩摩侵略です。この時に尚寧王は、琉球の主権を薩摩藩に奪われてしまいます。

そのため「このような事態を作り出してしまった私は、先代の国王たちに顔向けすることができない」と語り、自らの亡骸は玉陵とは別の墓に収めるようにと言い残します。

その命令を守って、臣下たちは玉陵とは別の墓に亡骸を納めます。これが、尚寧王が玉陵に入らなかった理由として伝えられている昔話です。

玉陵

次はちょっと怖い話です。これは宇喜也嘉が残した玉陵の呪いと関係しているものです。

実は尚寧王は、浦添から国王の娘婿になったことで国王になった人物でした。さらに詳しく説明すると、尚寧王は宇喜也嘉が自分の子どもを国王にするために首里から追い出した人物の子孫です。

つまり宇喜也嘉にとっては最も憎い相手であり、呪いをかけるべき対象の人物でした。

自らの野望のためには何をするかわからない宇喜也嘉を恐れた尚寧王は、自ら玉陵に入らなかったのではないか、というわけなのです。

浦添ようどれ

では玉陵に入らないことを選択した尚寧王の墓はいったいどこにあるのでしょうか?それは尚寧王が生まれた浦添市にある「浦添ようどれ」です。

実は尚寧王は、前の国王であった尚永王の実子ではありません。尚寧王のお嫁さんは尚永王の娘なので、尚永王からみると尚寧王は娘婿なのです。

ところが尚永王には跡取りとなる男子が生まれなかったので、娘婿である尚寧王が跡を継いで国王となったのです。

だから自ら尚寧王が玉陵に入らなかった本当の理由は、尚寧王の先祖の遺骨が納められた浦添の墓に入るためだったのです。

浦添ようどれ

でも宇喜也嘉の呪い説の方があまりにもセンセーショナルなので、「薩摩の侵略を受けてしまったことを恥じて玉陵に入ることを自ら拒んだ」という話と併せて宇喜也嘉の呪い説が有名になってしまいました。

玉陵に入らなかった尚寧王の墓【浦添ようどれ】

  • 【住所】沖縄県浦添市仲間2-53
  • 【入場時間】自由見学
  • 【入場料】無料

※夜間は照明がありませんので、日中での見学をおすすめします

玉陵の中室に収められていた謎の遺骨

玉陵

玉陵には国王と王妃が納められている東室と王族が納められている西室の間に、遺体を一時安置するための中室があります。

ところがこの中室には、謎の骨壺が1つ納められています。そこに収めらた遺骨が誰のものであるかはっきりと分かっていないのですが、古くから首里地域で伝わる昔話によるとそれは「木田大時(ムクタウフトゥチ」の遺骨であるといわれています。

木田大時は旧玉城村前川地区の易者でした。とても良く当たると評判の木田大時は、重い病気で苦しんでいた国王の王子を治したことで国王の絶大な信頼を受けることになります。

そのことをよく思わない臣下たちは「あいつが病気を治したのではなく、たまたま治ったのを自分のおかげといっているだけだ」と悪い噂を広げます。

その噂があまりにも広がりすぎたため、国王は木田大時を呼び出し、「最近お前が嘘つきだという噂がある。

これを晴らすためにも、私の前でこの箱の中にいるネズミが何匹いるか、ふたを開けずに当ててみよ」といいます。

そこで木田大時はふたを開けずに「3匹です」と答えると、噂を広げていた臣下達は「ほれみろ、こいつはうそつきだ!」「死刑にしろ!」と騒ぎ、その場で木田大時を取り押さえ刑場に連れて行きます。

実は臣下達にはネズミが1匹しか入っていないことを事前に知っていたのです。

心底木田大時を信頼していた国王は落胆しましたが、念のためにネズミが入った箱を開けてみるとそこには親ネズミ1匹と生まれたばかりの赤ちゃんネズミが2匹、合計3匹のネズミの姿がありました。

これを見た国王は慌てて刑場に連れていかれた木田大時の処刑中止を命ずる旗を高台から振って知らせますが、刑場でその旗を見た役人は処刑を急ぐように命じていると勘違いし、その場で処刑してしまいます。

処刑の報告を受けた国王は大層嘆き、「木田よ、許してくれ。お前の亡骸は子々孫々まで大切に祀る」と約束をします。

そして国王は約束通り、木田大時の亡骸は国王の厨子(骨壺)と同じくらい素晴らしい石厨子に入れ、玉陵の中室に安置されたといいます。

あくまでもこれは地元に伝わる伝承ですが、木田大時の子孫は今も清明祭には玉陵に集まりお参りを続けていますので実話なのかもしれませんね。

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